「取り組む前のサイトも、関わる企業の人も、取り組んだ後のサイトも企業の人も全部忘れてはいけない」

企業のゴールを目指して顧客のために全力で取り組むWEBディレクターのストーリー

webサイトという、企業の顔、情報の源に関わる業務に取り組むものとして

webサイトに手を加えることは、企業に魂を吹込み命の源に活力を与えることにつながる。
「人に関わり、人の悩みを癒したい」という思いを実現するにはどうしたらいいのか、学生当時、考え付いたのは法律を駆使して「人に関わり、人の悩みを癒す」ということでした、私は高校生のときにそう考え、法学部に入り司法試験合格し弁護士を志しました。ただ、何度と行ったチャレンジの末、司法試験はうまくいかずITの世界に興味を持つようになりました。

そしてITの仕事に関わるうちに「人に関わり、人の悩みを癒したい」気持ちは、法律を駆使することよりも、「webサイトを通じて企業の悩みを癒し、働く人を癒すことで実現できる」と気付いたのです。

大学卒業後4年半経過した後の26歳、私は企業に入社し、一時期は営業としてセールスを行うことだけを強く志望し顧客提案だけを突き詰めたこともありました。しかし、企業の課題認識や競合他社分析、市場把握などはマーケティング、営業課題認識や企業独自の販促などを「複合的な企業の課題を認識しwebサイトを中心に運用することで課題解決ができる」と認識したのです、そしてその仕事が可能なのはwebディレクターであることを知り、webディレクターの道に進むことを決めたのです。

営業マンとして卒業した私は、アシスタントwebディレクターとしてのトレーニングを積みはじめ、社内でもトップwebディレクターの指導を受けました。その理由は、webディレクターといっても評価基準が難しい中でトップにはトップの理由があり、トップたるゆえんは何なのかを突き詰めたいと思ったのと、その上司は大きなビジョンをもっていたので、自分よりも年下でも夢を語る上司の表情にwebディレクターの奥深い魅力がありました。

職場環境

当時の会社は年齢や経験、過去の実績などに関係なく、情熱や意欲にあふれる将来性豊かな優秀なスタッフを歓迎しており、年齢や出身校に関わらず全員にチャンスが与えられます。若いうちから様々なことに挑戦できる環境で、当時26歳だった自分と同じ、または自分より若いスタッフが一所懸命働く姿は非常に生き生きとしており、輝いていました。この光景を見て「ここで自他ともに認めるトップになろう」と強く心に決めたのです。

妥協はしない。あえて険しい道に進む決意

当時の会社でのトレーニング期間中は、最初は営業活動も並行的に行い、営業部署と制作部署を交互にローテーションしました。そのうち制作部署専属になり、あらゆる人のアシスタントを行いながら経験を積めば、いよいよ自分がwebディレクターとして案件を担当するようになり、目の回るような日々がいよいよスタート、それは今、起業して事業を行っていてもなお続いています。案件平均期間が2ヶ月とすれば、新規案件が入ってくるのであっという間に多忙な日々になり、5件、10件、15件と案件を持ちながら、退職する先輩の案件を引き継ぐ案件という高度な関係性が要求される案件も増えてきました。

案件は同じベースの案件の場合、不動産でも賃貸中心の案件であったり、士業でも弁護士事務所を多く関わるなど、同じベースの場合には実にプランニングも工数が削減できます。ガイドラインや解決法が明確に定まっており、過去案件数も多いので、実際の現場で経験を元にして自身で豊富な経験を積むことができます。

一方そうでない場合には、まずは業務理解から努めないといけないので、付け焼刃でもハードなトレーニングと勉強が必要になります。おかげで、アッセンブリ、ワスパロイ、フッ素樹脂コーティングのPTFE、名古屋帯、など様々な顧客業務を理解する必要性に迫られ、納期と相まって目が回るほどの忙しさになりました。

結局当時で合計60件程度のディレクター案件を1年半で経験することができ、チームで戦う方法や顧客への価値の提供など多くを経験したのですが、最終はwebディレクター次第でプロジェクトがこけることも強く学びました。新人webディレクターが取引先とトラブルを起こし、温厚な取引先が激高していると元々営業マン仲間がよくこぼしており、webディレクターの重要性と自分の案件では絶対にそういったことはさせない、関わる人の満足の最大化はwebディレクターが達成できるんだと確信しました。

このwebの世界では、2年経験すればもう立派なベテランです、ベテランとして実力を積み経験を積み業務に関しても自信を深めた当時、「せっかくwebディレクターになったのだから、ナショナルクライアントのようなもっと大きな案件にも関わって、自分が担当できる領域を広げたい。自分の実力をもっと外で知りたい」、そんなことも感じたものでした。そして29歳の私は、茨の道を進む覚悟で転職を行い、別会社に行きました。人生初の転職活動です。webディレクターの道はここでも研ぎ澄まされました、案件担当によってこんなにもやり方が違うのか、BtoBの基本やマーケティング思考のイロハ、業務報告タイミングや社内調整など、webディレクターとして必要ないとしても「チームで戦う」ために必須事項を多く学んだものです。

そこで磨きに磨きをかけて合計3年と勤め人をせず、起業独立することを決意しました。ちなみに、webディレクターとしてセールスも含めて、全ての分野・領域に関わることができることは想像以上に責任も大きくなるので、険しい道ですが、今では本当にこの道を選んでよかったと思っています。

webディレクターとして、すべての責任を持つ覚悟で臨む

webディレクターとなって最初に関わった仕事は、タオル卸を行う企業でした。初めて自分が担当する仕事で緊張していたこともあり、何をどうやって案件を終えたのか、あまり鮮明な記憶はありません。

ただひとつはっきり覚えているのが、その社長と奥様の期待に絶対に裏切りたくないということ、泉佐野までの顧客ヒアリングには上司が同席してくれたものの、顧客側からすれば新人担当であった私に不安があったように思いましたが、新人だからこその熱意でサイトへの想いを語り共感を得ることができました。

サイトが完成しても、過去とビジネス上でメリットになっていないと意味がありませんから、当時の私はコンテンツ重視、ナチュラルなSEOが万全に効くようなコンテンツに設定を行い、文章量や見出しなど全てにおいて制作を行っておりました。結果、充実したサイトは予定通り、さらにリテイクゼロで無事完成し、私のwebディレクターとしての道を一歩踏み出した瞬間でした。

もちろん、未熟なwebディレクターを支えてくれたデザイナーや撮影ヘルプに回ってくれた事務、切れ味ある文章表現のライター、迅速コーディングで作り上げたコーダー、チームが支えてくれたおかげであり、優秀なメンバーが1つの方向に進めば顧客満足に繋がると確信したのでした。また後にサイトは、ナチュラルなSEOが効いて、完成後にすぐに成果に繋がったとサポートからも教えてもらいました。

代表として経営を行うようになった現在でも、自分がwebディレクターとして顧客の前に立つときには当時の気持ちを忘れず、強い責任を感じます。webディレクターはその場で起こったすべての責任を負う立場ですから、その覚悟で挑まなければなりません。

取引停止と告げる顧客の声と表情、一生忘れることはない

最初の案件から15年近く経ち、私も数多くの案件を経験してきましたが、ふと思い出すのは成功したケースではなく、うまくいかなかったケースです。もちろんすべての顧客に満足をいただけるわけではなく、webディレクターとして関わっても残念ながら結果が出なかった顧客もいらっしゃいます。

サイト改善提案を提案説明するときの社員さんの期待に満ちた顔、現状を確認する際に今までうまくいかなかった施策を報告したときの、悩みを打ち明けほっとした顔、そして改善後思うように結果が出てこないときの苦い顔。自分が関わり最大の努力を行っても、残念な結果に終わった顧客の全員の表情は鮮明に覚えています。

期待に応えることができなかった。取引停止と告げる顧客の声と表情、契約が終了し見送っていただいたときの自分自身の虚ろな表情、おそらく、一生忘れることはないでしょう。

施策がうまくいかなかったときは、何がよくなかったのかを徹底的に考えます。「あのときこうすればよかったのか」「あの判断が悪かったのか」などを出し合った後でアクセスログの結果も参考にしながら、原因を追究したうえで、顧客にすべての事実をお伝えしています。

アクセス解析を行っても何がよくなかったのかわからない場合もありますし、自分の力では回答が出せないこともありますが、集客は結果がすべての世界。終わった後には必ず反省とその共有をすることがwebディレクターの果たすべき責務だと考えています。

web制作は自分との戦いでもあり、自分の作品でもあります。作る前の思考や作る前のソースコード、サーバの状態、そして現在進行しているサイトのデザインやフォント、カラー、ソースやキャッチなど思考を表現した制作物は全て自分の作品です。なので悩みや成果も含めて全ての案件を覚えていますし、覚えておかないと次回に同じ過ちを繰り返すのだと考えています。

webディレクターとは、人と人との対峙

私自身今では、クレアネット自社のwebサイト制作に関わっておりません。
長年webディレクターとして多くの顧客に提案、課題解決してきたのに、自社のWEBサイトは何もしていません。自らが行えばまた別のこともできたのかもしれない、しかし、この我慢の経験があるからこそ、経営者や担当者に対してどのような気持ちでいるかを知っているつもりです。正に山本五十六の格言にもあるように、

やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かじ。
話し合い、耳を傾け、承認し、任せてやらねば、人は育たず。
やっている、姿を感謝で見守って、信頼せねば、人は実らず。

なのです。

自社のことは最も思いが強い創業者が行う、のも正論、スタッフが顧客目線で作り上げることこそが人が実る理由にもなります。
webディレクターの仕事はあくまでも人間が思考し表現する行為です。思考は人の手で行われるものですから、SEO急上昇も、爆発した集客も、数倍CVRも伸びることも滅多にあり得ませんが、人であるwebディレクターが可能性を否定しを判断してはなりません。webディレクターは課題解決者としてそのサイトの、その企業の成長に密着するくらいに重要なものとして考え、サイト活用方法を無理やり押し付けたり活かしたり、勝手に可能性を放棄する権利は全くありません。

webディレクターに必要なことは、何よりも人間として企業に、企業の社員さんに対峙する心です。人はごまかすのが上手な生き物で、自分にはつい甘くなりがちですが、webディレクターは自分に甘い制作者がやれる仕事ではありません。

もちろん私自身も完璧な人間ではなく、ましてや天才でもなんでもありません。ただ、webサイトで悩む企業や担当者さんは、「何とかうちを助けてほしい」という切実な思いで相談に訪れます。ですから自分にできることがあるならば、全力で課題解決の行動を行います。

「人に関わり、人の悩みを癒したい」と思い弁護士を志した想いは別の形で実現しているわけなのですが、自分が関わるその企業に未来をもたらし、その企業の社員が幸せになれるならば、私は全力でwebサイトの提案を行いその企業の社員の人生に貢献したいと思っています。

(記載:株式会社クレアネット 谷 美輝)